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性的欲求を充足させることを目的とした強い衝動


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性欲は、性的欲求を充足させることを目的とした強い衝動である「リビドー」 (libido) であると考えられている。個々にどのような欲求が生まれ、どのような方法で充足させるかは、個人差が大きく一般化することは困難である。

性欲の研究についてはフロイトによる小児性欲のエッセイが著名である。フロイトは未発達の小児にも性欲があると考え、口唇期、肛門期、男根期(エディプス期)、性器期などという段階に分類した。こうした性行動をともなわない性欲を充足させるか否かが後の人格形成に大きく関わると考えたフロイトは、こうした性欲の抑圧(欲求不満)をヒステリーの原因と想定した。またそうした性欲を根源的な性欲と名付けた。フロイトはこうして人格形成をすべて性欲に起因する欲求で説明しようと考えた。これを汎性欲論と呼ぶが、近年では多くの批判を受け、妥当性に欠けるとされる。

脳生理学の発達にともない、本能的行動が脳内の化学物質による反応行動であるというアプローチもある。

性衝動の固着
性欲そのものは非常に単純であり根源的な欲求である(リビドーの項参照)。ただしその性衝動をどう充足するかによって、性的指向は個々に変化する。例えばフロイト的な解釈によれば、口唇期の欲求不満が固着した場合は、悲劇的で不信感に満ち、皮肉屋で攻撃的なパーソナリティが形成される可能性があるとされる。逆に過剰であった場合は、タバコやアルコール摂取意欲の増加、爪を噛むなどの行為がでる可能性があるとされる。

女性が、自分に執着しパートナーに大切にしてもらえることを望むという性的指向が固着した場合、そのような価値観を持つ社会集団に属していた、あるいは一切執着をされなかった反動形成と捉えることができ、男性が容姿の優れたパートナーを所有することを望むという場合も社会的欲求の変形と見なすこともできる。

好奇心から性的指向を顕在化させるケースもあり、窃視症や痴漢など、異性の秘密に対する好奇心から、異性の衣服の下の身体を見たい・触れたいという欲求を抱き、特に人目につかない部分(股間、腋の下など)に興味を示すこともある。男尊女卑的な社会では女性が頼れるパートナーに身体を預け、秘所を開くことで孤独感を癒したいという欲求が生まれることもある。こうした類型化された男女の性衝動は社会性の獲得とともに刷り込まれる。(性的嗜好、ジェンダーの項も参照)。

一般に性的欲求が強まるのは、思春期以降と言われるが、個人差が大きく必ずしもそうとは言えない。性的好奇心は年齢を問わずにおこり、社会的抑圧の程度により発現の仕方も多様である(子供の性を参照)。固着の状況によっては、関係性への欲求や所有欲、共感欲といった別の欲求に置き換わる場合もしばしばで、性的な欲求を一生自覚せずに過ごす場合もある。

影響
このように固着した性行動は個々の性生活に影響を及ぼし、法的に逸脱した行動を引き起こすこともしばしばである。TPOを無視した過度な露出や逸脱した性的アプローチは、嫌がらせ (セクシャル・ハラスメント) や性犯罪とされることもある。

キリスト教では色欲は人間の七つの大罪の一つとされる。また他の宗教でも、不適切な性欲を罪としている。

仏教でも煩悩の一つとされ、不邪淫戒という戒律も存在する。ただし不邪淫戒は、妻以外の女性と性交渉をしてはならない、という戒である。釈迦の従弟である孫陀羅難陀が、出家後でも妻に惹かれてなかなか悟りを開けなかったエピソードなどがある。このように多くの宗教では、性欲とは女性の容姿に男性が惑乱させられて起こるものと考えられている。

ただし、仏教の中でも上記の顕教と違い、密教では性欲の捉え方は大きく異なる。理趣経という経典には、男女の欲望や交合(性交)の妙なる恍惚、また欲望などもすべて清浄なる菩薩の境地であるなどと説いており、性欲を全否定しない。したがって世間一般では、密教や理趣経は性欲を肯定していると、色眼鏡的な見方で捉える向きもある。しかしそれもまた違う。これは自性清浄といい、本来人間は汚れた存在ではなく、欲望は人間として自然なものである、といった煩悩即菩提という思想が密教の根本にあるためである。

これに関連して最澄と空海の間には興味深い話がある。日本天台宗を開いた最澄は、真言宗の空海に灌頂を受け弟子となりつつも、天台宗の教義を確立するため、空海に借経(経典を借りること)を繰り返した。しかし最後にこの理趣経の解説書である『理趣釈経』を借りようとしたが断られた。これ以降両者の関係は断絶している。この経緯には、空海が最澄の機根を見極め、密教や理趣経が性欲を全肯定していると誤解され、また間違った教義解釈をされることを懼(おそ)れた結果、断ったと考えられている。

現に空海や最澄以降、男女の性交をもって成仏するという、行き過ぎた教義解釈を実践する一派が生まれた。真言宗の立川流は南北朝時代を頂点に栄え、高僧や貴族間でも大いに信仰されたという。また天台宗でも玄旨帰命壇という一派が類似する教義を立てた。しかしいずれも邪教扱いされ排撃されて現在は途絶えている。なお立川流に関しては、南北朝という政治的対立の背景によるスケープゴート説や教義内容の信憑性などが、近代の研究で多く提示されている。

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2009年01月24日 11:30に投稿されたエントリーのページです。

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