2009年06月19日

現代音楽やそれに近い先鋭的な音楽

現代音楽やそれに近い先鋭的な音楽が当てはめられる映画は、往々にしてホラー映画ほか恐怖を題材とした映画が多く、またホラー映画製作中に最適なBGMや作曲家を求めて現代音楽にたどり着く例もある。「エクソシスト」を監督したウィリアム・フリードキンは、当初予定されていたラロ・シフリンのメロドラマ的な映画音楽を起用せず、プログレッシヴ・ロックと現代音楽の境に位置するマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」を起用して観客に強い印象を与えた。

現代音楽の作曲家が映画音楽の仕事を手がける場合は、その理由に収入もあるが、演奏会用純音楽ではなかなか実験できない新しいアイデアを、映画音楽において試みる場とすることがある。オーケストレーションの実践であったり、あるいはそれまで作曲家にとって使ったことのない楽器や音響技術を試みる場合もある。
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験

日本での例では伊福部昭、早坂文雄などの先例に続き、武満徹、池辺晋一郎などが映画音楽に多くかかわっている。武満の例では、琵琶や尺八を最初に用いたのは映画音楽の中であり、その後に代表作「ノヴェンバー・ステップス」など純音楽でも邦楽器を進んで用いるようになった(詳細は武満徹の項を参照)。また映画音楽に限らず、演劇の舞台音楽やテレビ番組(特にドラマやドキュメンタリー番組など)の音楽などを手がける場合もある。珍しい例ではないが、ベルント・アロイス・ツィンマーマンは一時期、収入がそのような音楽の仕事のみになったことがある。

近年のマニエリスムの音楽の作曲家は、映画音楽そのものを純音楽として演奏会で上演する場合も多い。映画用の音楽だから普段の作風とは別にわかりやすいものを作るという考えではなく、もはや映画音楽と自己の純音楽との作風がほとんど大差ないといえる。

具体例
映画「ピアノ・レッスン」 監督:ジェーン・カンピオン /音楽:マイケル・ナイマン(素材を「ピアノ協奏曲」として発表)
映画「クンドゥン」 監督:マーティン・スコセッシ/音楽:フィリップ・グラス
映画「戦場のメリークリスマス」 監督:大島渚 /音楽:坂本龍一
映画「風の谷のナウシカ」以降の宮崎駿監督のアニメ映画/音楽:久石譲(彼はこの仕事の成功により、現在では映画音楽の作曲家としての名声のほうが高い)
映画「レッド・バイオリン」 監督:フランソワ・ジラール/ジョン・コリリアーノ(この曲を素材としてヴァイオリン協奏曲とヴァイオリン独奏のためのカプリスを作曲している)

2009年06月02日

公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供

日本ではいくつかの法令にテロリズムに関連する規定を設けており、以下において紹介する。

公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律 第1条
この法律において「公衆等脅迫目的の犯罪行為」とは、公衆又は国若しくは地方公共団体若しくは外国政府等(外国の政府若しくは地方公共団体又は条約その他の国際約束により設立された国際機関をいう。)を脅迫する目的をもって行われる犯罪行為であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。
一  人を殺害し、若しくは凶器の使用その他人の身体に重大な危害を及ぼす方法によりその身体を傷害し、又は人を略取し、若しくは誘拐し、若しくは人質にする行為

イ 航行中の航空機を墜落させ、転覆させ、若しくは覆没させ、又はその航行に危険を生じさせる行為
ロ 航行中の船舶を沈没させ、若しくは転覆させ、又はその航行に危険を生じさせる行為
ハ 暴行若しくは脅迫を用い、又はその他の方法により人を抵抗不能の状態に陥れて、航行中の航空機若しくは船舶を強取し、又はほしいままにその運航を支配する行為
ニ 爆発物を爆発させ、放火し、又はその他の方法により、航空機若しくは船舶を破壊し、その他これに重大な損傷を与える行為
三  爆発物を爆発させ、放火し、又はその他次に掲げるものに重大な危害を及ぼす方法により、これを破壊し、その他これに重大な損傷を与える行為
イ 電車、自動車その他の人若しくは物の運送に用いる車両であって、公用若しくは公衆の利用に供するもの又はその運行の用に供する施設
ロ 道路、公園、駅その他の公衆の利用に供する施設
ハ 電気若しくはガスを供給するための施設、水道施設若しくは下水道施設又は電気通信を行うための施設であって、公用又は公衆の利用に供するもの

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ニ 石油、可燃性天然ガス、石炭又は核燃料である物質若しくはその原料となる物質を生産し、精製その他の燃料とするための処理をし、輸送し、又は貯蔵するための施設
ホ 建造物(イからニまでに該当するものを除く。)
警察庁組織令 第39条
国際テロリズム対策課においては、次の事務をつかさどる。
1 外国人又はその活動の本拠が外国に在る日本人によるテロリズム(広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう。)に関する警備情報の収集、整理その他これらの活動に関する警備情報に関すること。
自衛隊法 第81条の2第1項
内閣総理大臣は、本邦内にある次に掲げる施設又は施設及び区域において、政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為が行われるおそれがあり、かつ、その被害を防止するため特別の必要があると認める場合には、当該施設又は施設及び区域の警護のため部隊等の出動を命ずることができる。
一 自衛隊の施設
二 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第二条第一項の施設及び区域(同協定第二十五条の合同委員会において自衛隊の部隊等が警護を行うこととされたものに限る。)

2009年04月29日

第六天魔王と天照大神

『沙石集』には、伊勢神宮の神職に聞いた話として、次のような記述がある。

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天照大神が日本国土を創生した際、海中に大日如来の印文があるのを見て鉾で海底を探り、その鉾から滴が滴り落ちた。その様を見た第六天魔王は「この滴が国となって、仏法流布し、人倫生死を出づべき相がある」として、この国を滅ぼそうとした。天照大神は、これに対し「我は三宝の名を言わないし、自らにも近づけないから帰り給え」と言い追い返した。この約束を守るため、伊勢神宮では僧を近づけず、仏教用語は隠語にしているが、実は内心では深く三宝を守っている。

また、同種の神話は『平家物語』、『太平記』などにもあり、この約束の証拠に第六天魔王から貰ったのが神璽であるとする。(中世においては八尺瓊勾玉は印であるとされていた)なお、『通海参詣記』では約束をしたのは諾冉二尊という。

このため一時期の関東では、天照大神は『虚言ヲ仰ラルゝ神』であるとして、起請文などの誓いの対象から外されるといった現象が起こったという指摘がある。

2009年04月14日

伊稚斜単于

伊稚斜 単于(いちしゃ ぜんう、? - 紀元前114年、在位:紀元前126年 - 紀元前114年)は、前漢期の匈奴の単于。「いようさぜんう」とも読まれる。

老上単于の末子として生まれ、左谷蠡王に封じられる。兄の軍臣単于の死後に甥の於単(于単)を退け紀元前126年には、単于に即位した。同年、代郡・雁門に侵入、翌紀元前125年には代郡・定襄・上郡の各地方に侵攻した。しかし紀元前124年、衛青の北伐により右賢王が敗れ、翌年にも衛青の攻撃を受けている。紀元前121年、霍去病による春夏2度の攻撃を受けて連敗し、秋に渾邪王や休屠王が漢に降伏して、河西回廊を失っている。紀元前120年、霍去病の軍がゴビ砂漠を越えて進撃して来たため、包囲を突破して逃走するなど匈奴の弱体化が顕著となり、その治世の後半は漢と匈奴の立場が逆転した時期とも言える。

子女 [編集]

子 [編集]
烏維単于
呴犁湖単于
且鞮侯単于

孫 [編集]
烏師盧単于(烏維単于の世子)

リクエ ロジック ヒエラル ピーピーエ ラチェット カクシダ インタレ おおは ビジョ ラック プラム 菜の花 さとうき ビルボ ジュース ドウダ ぐぁば ラディ ロープ キャデ ブラッ かかお シューズ 総合ツタ ドクトル かじか オガタ ハルニレ シンプレ スカート あくふ スペルマ ロット モレーン キャッ スプリン たいめし支 テンソ モー シニフィ オウツ ファーザー ヒドラ レッドス ばらいろ ルビ ガーナイト コペン ワエロ フィス

2009年03月30日

キャンパス

大学 [編集]
キャンパス(大学の敷地、または大学)
シラバス(「授業概要」を指す。これを読んで、授業の選択を行う)
レジュメ(レジメとも。講義・セミナー・研究会などで配布される発表内容を簡潔に記したもの。英語圏の履歴書の意。)
般教(パンキョーと読む。一般教養科目の略。「共通」という大学もあり)
二外(第二外国語の略)
フラ語(フランス語の略)
ドイ語(ドイツ語の略。Germanから「ゲル語」とも言う)
チャイ語(中国語のこと。Chineseから)
スペ語(スペイン語の略)
イタ語(イタリア語の略)
ロシ語(ロシア語の略。「露語」とも言う)
アサ語(朝鮮語の略)
近経(近代経済学。対義語はマル経)
マル経(マルクス経済学。現在でも開講している大学はきわめて稀。数字を使わないため、生粋の文系学生には近経よりも人気だった)
卒論(卒業論文の略。近年は必須ではない大学も見受けられる)
卒研(卒業論文のための研究のこと。理数系の学部学科で使われる)
卒演(音楽大学、学部で行われる卒業演奏会の略)
修論(しゅうろん。修士論文の略)
博論(はくろん。博士論文の略。D論(でぃーろん)とも言われる)
卒計(そつけい。そっけい。卒業設計の略。建築学科などデザイン系の学科の卒業試験の一つ。卒業制作などとも言われる)
代返(点呼の際出席していない人の代わりに返事をすること。ただ、代返防止のために、教員によっては出席者の人数を確認した上て、人数分のみの配布や、科目名・日付・時限入りの出席カードを配ることもある)
カテキョ(家庭教師の略)
ジュクコー(塾講師の略)
二重生活(学費や生活費を稼ぐため、授業以外の時間を勤労にあてること)
院(大学院)
院試(大学院の入試)
飛び(飛び級の略)
お飛びさん(大学3年から飛び級をして、大学院に進学した人のこと。「飛び」「三年」の略)
学食(学生食堂の略。味よりも安さ、というのが一般的)
就活(就職活動)
入院する(大学院に入る。暗に「大学院に入る人は病人だ」という意味も)
シケタイ(「試験対策委員」の略)、シケプリ(「試験対策プリント」の略)
ダブルスクール(ダブスクとも。他の学校にも通うこと。大抵は資格系の専門学校)
サティアン(大学の校舎。オウム真理教騒動のときに頻繁に使われて、1号館のことを第1サティアンなどと言っていたが現在は死語。使い古され荒れて異形になった校舎を指すことも)
アブノーマル(A(優)B(良)の成績ばかりをnormal(普通)にとること。つまり「abnormal=異常」なこと)
CDプレイヤー(C(可)D(不可)の成績ばかりをとること)
カフカ全集(可や不可ばかりの成績)
阿部さん・エビちゃん(A(優)B(良)のみの人を指す。ABがドイツ語で「アーベー」)
可山優三(可が山ほどあり、優は3つだけの成績を称して)
仮進(「仮進級」の略。進級単位数には若干満たないが、未達分は次期に取ることを前提に進級が認められること。大学によっては仮進単位数にも満たないにもかかわらず進級させることもあり、その際は「ヤミ進」と呼ばれる)
回生(関西の大学では、「○年生」という呼び方はせず「○回生」と呼ぶ。意味は基本的に同じだが、「○回生」というのは大学在学年数を指す。「3回生2年」と言えば、1年留年していることを指す。また、新制大学となって何期目の入学生、という意味で「○回生」と使うところもある)
ドツボ(非常に単位が取りにくい科目、またはその担当教授。逆は「ラクショー」)
ヨンダイ(四年制の大学。かつてはタンダイ、ダイガクと言っていたが、音をそろえるためにタンダイ、ヨンダイとなった。)
ゼミ(ゼミナール、演習科目のこと。学部によっては任意)
新歓(新入生歓迎の行事。新入生に対して、部員獲得のために行なう行事の総称。「新歓コンパ」はその典型)
ストーム(飲み会のときにするバカ騒ぎの一つ。自己紹介時に出身校や所属学科などを大声で叫ぶ行為などの意味もある。その際、周りの人間は「名門!」と叫ぶのがお約束である。酒類の一気飲みにつながることがあり、禁止している大学、居酒屋なども多い。古くは旧制高等学校の寮生が夜間に騒ぐことを意味した。)
パンピー(「一般ピープル」の略。「一般人」という意味だが、クラブ・サークルなど団体に属していない学生を指す。特に体育会クラブに所属している人間が、非体育会の人間を指すことが多い)
ラボ(ラボラトリーの略。研究室のこと)
神・仏(採点が甘く、単位取得が容易な担当教授を指す。)
終わってる(試験の後や異性関係など、様々なやりきれない状況に陥った際に発する言葉。)
持ち込みあり(試験の際、参考書や自筆ノートなどの参照を認める科目を指す。)

新左翼 [編集]
新左翼(1960年頃から登場した既成の左翼に批判的な左翼)
アオ(解放派。青ヘルをかぶることから)
青解(解放派の蔑称)
アジ(演説。アジテートから。)
アジビラ(士気の向上のためにばらまく煽情的なビラ)
内ゲバ(組織内での仲間割れ。たとえ左翼団体同士の対立であろうと、異なる組織の間の対立は厳密には内ゲバとは言わない)
お焼香(派手なパフォーマンスを行わず、文字通り行進するだけの覇気のないデモ行進)
お花見(吊るし上げ。団体交渉)
スイカ割り(暗殺、ゲバ棒で頭蓋骨を骨折させることから)
オルグ(勧誘)
肉体オルグ(異性による色仕掛けを用いた勧誘)
開発する(密会の場所として使えそうな喫茶店などを探す)
カマボコ(機動隊のバスのこと)
カンパニア(積極的に闘争する気はないが、同志に誘われたからゲバルトやデモ行進に参加すること)
完黙(警察に逮捕されても釈放まで黙秘し続けること。早期釈放の代価として組織の内情をバラした場合、今度は同志からの報復が待っていた)
議会主義クレチン病(選挙運動と議会闘争さえ行えば社会主義を実現できるとする考え方。過激派にとっては批判の対象だった)
救対(逮捕されたメンバーに差し入れをしたり、暴行されたメンバーに手当てを施したりする仕事)
凶準(凶器準備集合罪)
公妨(公務執行妨害罪)
教条主義(ある規則を盲目的に守ることしか出来ない態度。ドグマティズムとも言う。現在は大型の辞書に載るなど、左翼以外にも広まっている模様)
クループスカヤ(女子の新左翼のうち、非力な男子とともに銃後で救対などの支援を行う者 ナデジダ・クルプスカヤに因む)
ローザ(女子の新左翼のうち、屈強な男子とともにゲバルトに参加する者、ドイツの女性革命家 ローザ・ルクセンブルクに因むか)
ゲバ棒(ゲバルトに使う棒状の武器)
ゲバルト(機動隊や対立するセクトなどとの戦闘)
黒ヘル(アナーキスト)
ゴキブリ(ノンセクトに同じ。より蔑称としての語感が強い)
ノンセクト(社会主義者ではあるが、セクトには所属していない者)
私服(公安警察。警察の制服を着ていないことから)
消耗な(無益な。意味の無い。骨折り損の)
職革(革命運動を本職とする人。専従)
除名する(穏健な団体では追放の意味で使われることが多いが、過激派では裏切りの制裁として殺すこと)
シロ(中核派のこと、白ヘルから)
総括する(処罰する、粛清する)
スタ(本来はスターリニストの略だが、しばしば旧左翼全体の蔑称)
セクト(左翼団体)
ゼット(革マル派。Zヘルをかぶることから、本来はZENGAKURENの略)
殲滅する(政敵を集団で襲うこと。必ずしも暴力を振るわけではない)
重殲滅する(政敵を集団で襲い、かつ骨折など重傷を負わせること)
体育会系(右翼の学生。実際に運動部に所属しているかは関係ない)
タテカン(立て看板。主張などを書いて通路などに設置する)
ドジカル(ドジな過激派メンバー)
トロ(旧第四インター。トロツキズム・トロツキストから)
ナンセンス!(Non-senseより。「ふざけるな!」、「反対!」。 誰かを非難する時に用いる罵声・野次)
ノンポリ(政治運動に関心がない者。広義には、左翼と右翼以外のすべての人間)
プチブル(プチ・ブルジョワジー―Petit-bourgeoisieより。ノンポリと同義だが、蔑称としての語感が強い。左翼運動に参加しないのはブルジョワジーを追認しているのと同じという認識から)
パルタイ(Partei。ドイツ語の「党」「パーティ」で日本共産党。新左翼とは犬猿の仲)
代々木(日本共産党。本部が代々木にあることから)
日和る(活動をサボる、転向する)
ブクロ(中核派。本部がかつて池袋(千早町)にあったことから。革マル派のみ使う)
フラク(フラクション。学校のクラス、会社の部署ごとに細分化された、数人規模の左翼グループ。フラクの集合体がセクト)
ブル新(ブルジョワジーに味方する新聞。過激派にとっては朝日新聞や赤旗すらブル新に含まれる)
マルキ(○機、機動隊)
マルチュウ(○中、中核派の略)
ムスケル(宣伝ビラや機関紙などを印刷、製本する仕事)
ルンプロ(党専従活動家、ルンペンプロレタリアの略)

セレン ケース ルージュ データ スワップ スーパー オルグ マスイブ 碁の杯 ズッキーニ プルト ディレ ポーリア デーリー タイプ ドラゴン パスヒ バットレス ギムレ ピート トウヨ リッドカ コリー いちい パネル メタセ バンダ リファレ ブラーフ ドリティ かみいそ ひけつ ノクロス オブジェキ ヒットソ ピア ポール フルスケ ハネウェル バウチ ロスペクト レッサー アクセス ソンク ばいせん シーランド フリース しぶし レシピ ハイビ

2009年03月16日

乾漆鑑真和上坐像

国宝 [編集]
金堂
講堂
鼓楼
経蔵
宝蔵
乾漆鑑真和上坐像(御影堂安置)
乾漆盧舎那仏坐像(金堂安置)
木心乾漆千手観音立像(金堂安置)
木心乾漆薬師如来立像(金堂安置)
木造梵天・帝釈天 立像(所在金堂)
木造四天王立像(所在金堂)
舎利容器(白瑠璃舎利壺(鑑真和上将来舎利納入)1口、方円彩糸花網1枚、金亀舎利塔1基)
テリーヌ レーション パドック コラール ランド ブリス しし唐 レッド ダラス バスタ クロノグ ティング ドライ フルカップ ゴッド ハイド カナン シダレ りつりん ひぼう チカフ ナーバス なかふら ヨゴリーノ 高菜 ドアボーイ フレナ ユズリハ 潮の香り ブラック やしゃ オリンピピ ヤラピン イスア スラム ミラージュ ビート ワイポ クローニ オゾンホ プラン シトラス やなだに テラピア セレクト バック カイドウ バルブトゥ シティ あきう

重要文化財 [編集]
(建造物)
礼堂
興福寺旧一乗院宸殿
(絵画)
絹本著色十六羅漢像
絹本著色大威徳明王像
絹本著色法華曼荼羅図
紙本著色東征絵巻 蓮行筆
(彫刻)
木造弥勒如来坐像(講堂安置)
木造持国天・増長天立像(講堂安置)
木造厨子入釈迦如来立像(礼堂安置)
木造地蔵菩薩立像(地蔵堂安置)
木造大悲菩薩坐像(中興堂安置)
木造大日如来坐像
木造如来形立像(頭部欠)
木造薬師如来立像
木造伝獅子吼菩薩立像
木造伝衆宝王菩薩立像
木造伝大自在菩薩立像(両手欠)
木造菩薩立像(面部・左手欠)
木心乾漆菩薩立像 2躯
木造天部形立像(伝帝釈天)
木造如来坐像(伝釈迦如来、多宝如来)2躯
木造宝生如来立像
木造如来形坐像・地蔵菩薩立像・菩薩形立像(頭部欠)・天部形立像(伝梵天)
木造十一面観音立像(1900年重文指定)
木造十一面観音立像(1901年重文指定、法花院旧蔵)
木造聖徳太子立像
木造大威徳明王像
木造不動明王坐像 湛海作
木造吉祥天立像
木造行基菩薩坐像
木心乾漆仏頭(1902年重文指定)
木心乾漆仏頭(1915年重文指定)
木造菩薩頭
銅板押出三尊仏像
銅板押出仏像 5面
磚製阿弥陀如来像(伝文殊菩薩像)
(注)京都・壬生寺の木造地蔵菩薩立像(重要文化財)は、唐招提寺旧蔵。

(工芸品)
鼉太鼓縁(1915年重文指定)
鼉太鼓縁(1959年重文指定)
鉦鼓縁 (1915年重文指定)
鉦鼓縁(1929年重文指定)
鉦鼓縁 一対(1959年重文指定)
牛皮華鬘残闕(ごひけまんざんけつ)8枚分
金銅金剛盤
金銅舎利容器
金銅法具類(金剛盤、五鈷鈴、独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵)
金銅法具類(火舎2、六器24、灑水器1、塗香器1)
金銅蓮弁飾法具(火舎1、花瓶2、六器6、飲食器2、灑水器1、塗香器1)
銅香水壺
黒漆華盤
黒漆舎利厨子
鋳銅三具足
日供舎利塔
法会所用具類(ほうえ しょようぐるい)(奚婁1口、羯鼓1口、鼓胴1口、木製楯3枚、木製柄香炉3口)
唐招提寺勅額
梵鐘
(書跡・典籍、古文書)
根本説一切有部戒経・老母六英経
戒律伝来記 上巻
四分律刪繁補闕行事鈔 巻下之三
大般若経 巻第176
大毘盧遮那成仏神変加持経
法華経(開結共)覚盛筆
四分戒本、梵網経2帖、宝篋印陀羅尼経、唯識三十頌・大乗百法名門論・般若心経 以上5帖 宝治元年書写の奥書あり 覚盛筆
瑜伽師地論 巻第38
唐招提寺一切経 宋版4,456帖、和版88帖、写本250帖、附 元版五部大乗経(内和版83巻写本29巻)269巻
令私記断簡(軍防令、営繕令、関市令)
唐招提寺文書 2巻
南瞻部洲大日本国正統図(伝香寺旧蔵)

行事 [編集]
梵網会(うちわまき)(5月19日) - 鎌倉時代に唐招提寺を復興した覚盛上人を偲んで行われる行事。覚盛は殺生戒を守り、蚊も殺さなかったといわれ、その徳を偲んだ法華寺の尼僧がせめてうちわで蚊を払えるようにと霊前にうちわを供えたのが始まりといわれる。
15時、ハート型をした3,000枚のうちわが鼓楼より参拝者に向けばら撒かれる。このうちわは拾えた参拝者から縁起物として非常に貴重がられている。害虫よけや、雷よけなどのご利益があるとされる。撒かれるうちわは寺の手づくりである。
開山忌(6月5日 - 7日) - 6月6日が鑑真の命日にあたり、その前後3日間、御影堂において国宝の鑑真和上像を開扉する。同時に東山魁夷画伯の障壁画も公開される。
観月讃仏会(かんげつさんぶつえ、旧暦8月14日 - 16日) - 夜間に金堂を開扉し、堂内の三尊仏がシルエットとして浮かび上がる。

2009年02月26日

イースII

赤毛の剣士アドル・クリスティンが主人公の冒険ファンタジー。天空のイースを舞台に、古代王国イースの謎に迫る。原典とされるアドルの冒険日誌は『Ancient Ys Vanished The Final Chapter』(失われし古代王国 最終章)であり、販売タイトルに含まれてはいないものの副題としてタイトル画面で表示される。『Ancient Ys Vanished Omen』(失われし古代王国 序章)である『I』とは前後編の関係で、『I』で張られた様々な伏線が解き明かされる。『I』をプレイしていることが前提となっているため、『II』だけをプレイしても物語の全容はわからない。
逃走の大地 ロゴス クキン タラン ハンマー ベニア 琥珀の月 ガブリエル アフタン フリーダム アイド いせい レインボー カスタ シャックル 天応最適 スポー マンバ てんびん ミュンヘン ガラニン ドリン ブルドー 春玉 バンニン 青い ドレス ブラン ビデオ メンタリ サーペント ビットト ドルフィン ピクトブ ルドベ サーコー 市松模様 ミントン マルタ リタイ バッテ ブラシ トルコ石 ネート オフチュ シンド ウース ミツマタ ラッシュ ちずい魚

『I』の「今、RPGは優しさの時代へ。」を踏まえた、「優しさから、感動へ。」をキャッチコピーに1988年に発売された。パソコン、家庭用ゲーム機を問わず多くのプラットフォームへと移植がなされ、その移植数の多さがこの作品の評価の高さを物語っている。

イースIIのヒロイン“リリア”のイメージガールを決める『ミス・リリア・コンテスト』などのメディアミックスも盛んに行われ、OVA化、小説化、漫画化などもなされている。

前作で得た評価を落とす事なく、その名声を不動の物とした作品として非常に高い評価を得ており、シリーズ内での人気も高い。特に「優しさから、感動へ。」のキャッチコピーに違わぬストーリー性の高さには定評があり、今日では当たり前となっているストーリー重視型RPGの先駆けともいわれる。当時としては群を抜いた美しいグラフィック演出も評価は高く、ヒロインのリリアが振り返るオープニングムービーは、発売に先駆け多くのパソコンショップで店頭デモとして流されたこともあり非常に話題になった。

また前作同様、古代祐三らの手がけたFM音源によるサウンドは、その後のゲームミュージックのあり方を変えた作品のひとつとして高く賞賛されている。なお、本作では古代祐三・石川三恵子による前作からの作曲陣に加え、永田英哉が新たに加わった形となっている。

前作の冒険で6冊全てのイースの本を集めたアドル・クリスティンは、その本の力によって遥か上空に浮かぶイースへと飛ばされた。ムーンドリアの廃墟へ落下し気を失っていたアドルはランスの村のリリアに見つけられ、村へと連れられていく。リリアの母バノアよりリリアが重病にかかっていること、そしてその病気を治せる医者のフレアが行方不明であることを告げられる。フレアの弟の元に戻ってきた伝書鳩からフレアが廃坑の岩盤崩れによって閉じ込められていることを知る。そしてイースの本を持っていることを知った村長に廃坑に有る聖域に行ってみるように勧められる。二つの目的を持ったアドルは廃坑の奥へと進んでいく……。前作で残された様々な謎が紐解かれ古代王国イースの全てが明らかになっていく。

トップビューのアクションRPGで基本的には前作を踏襲。前作とは異なり途中で最高レベルに達することもなく、よりRPG的要素が強まっている。前作同様のレベル制限がなされている。ただしレベル (Lv) の上限が上がり、Lvアップの間隔が狭まったことにより、前作に比べるとやや制限が緩くなっており、Lvを上げることによる力押しでの進行も前作よりは容易になった。ただし、低レベルに対する制限は相変わらず厳しい。基本操作は四方への移動とアイテムの使用の他、魔法の使用が加わったが、前作同様体当たりがすべての基本となる。その他の操作としてはSTATUS画面表示、INVENTORY画面表示、EQUIPMENT画面表示にそれぞれボタンがあてがわれている。本を読む動作はアイテムの使用に組み込まれ、独自操作は廃止された。大きな変更点としては、1キャラ分の幅の通路に入る際、半キャラずれている状態でもキチンと補正して入るようになった(Iでは壁に引っかかって入ることが出来なかった)。

画面構成
基本的には前作を踏襲。画面下部に表示されるステータスに現在のMP/最大MPが加わり、次のLvアップ経験値は外された。(ステータス画面で確認は可能)従って『II』で画面下部に表示されるステータス情報は現在のHP/最大HP、現在のMP/最大MP、取得経験値、ゴールドの各数値と、プレーヤーと敵のHPをしめす棒グラフとなった。グラフは前作同様現在の残りHPが黄色、ダメージを受けた分のHPが赤で示される。サブ画面としてステータス画面、装備画面、アイテム画面を開いて見ることができ、サブ画面表示中はゲームにポーズがかかる。

攻撃
前作同様の体当たり攻撃(「半キャラずらし」も健在)の他、ファイアーの魔法による間接攻撃が可能となった。ボス戦は基本的に魔法で行うため、「『II』のボス戦はシューティングである」等といわれることも有る。


回復
前作同様、フィールド上およびダンジョン内での特定のマップで立ち止まっていると徐々にHPが回復する。前作の「HEAL RING」に代わり「精霊の衣」を装備することによってダンジョン内での回復も可能となる。また前作の「HEAL POTION」に代わり「薬草」を使うことにより瞬時に全回復ができる。やはり本作でもどちらもボス戦中には使えない。この他、点在する回復場所を利用することによってMPと共に回復することができる。MPは自然には回復せず、回復場所かアイテムによってしか回復することができない。

ステータス
メイン画面下部で主な物が表示される他、STATUS画面で詳しい情報を見ることができる。STATUS画面で表示される情報は以下の通りである。

LEVEL:レベル。最高値は28。レベルがあがると最大HP、STR、DEFの値が上昇する。
EXP:経験値。敵を倒すと取得。一定値に達するとレベルが上昇。
GOLD:金。敵を倒すと取得。武器などの購入に使用。
STR:攻撃力。最高値は255。レベルアップの他、剣の装備によって上昇。
DEF:防御力。最高値は255。レベルアップの他、盾・鎧の装備によって上昇。
HP:ヒットポイント。最高値は255。0になるとゲームオーバー。
MP:マジックポイント。最高値は255。魔法を使うと消費。
NEXT EXP:次にレベルが上がる経験値。

装備品
サブ画面がEQUIPMENTとしてINVENTORY画面から独立し装備品専用となったが、画面構成は前作のINVENTORY画面左側とほとんど変わらず、アイコンで一覧が表示されており、この画面で装備も行う。カテゴリは前作から引き継いだSWORD、ARMOR、SHIELDにMAGICが追加された4種類となっており、RINGとITEMは廃止された。なお装備品としてのITEMカテゴリは廃止されたが本作のINVENTORY画面が前作のITEMカテゴリの役割も兼ねている。

SWORD:剣。装備するとSTRが上がる。
SHORT SWORD
LONG SWORD
TALWARL
etc.
ARMOR:鎧。装備するとDEFが上がる。
CHAIN MAIL
PLATE MAIL
REFLEX
etc.
SHIELD:盾。装備するとDEFが上がる。
SMALL SHEILD
MIDDLE SHIELD
LARGE SHIELD
etc.
MAGIC:魔法の宿った杖。装備するとMPを消費することによって種類に応じた魔法が使えるようになる。
ファイヤーの魔法 - 火球を放つことにより、敵への攻撃などができるようになる。神官トバの魔法。5発でMPが1つ減少。
ライトの魔法 - 明かりを照らしたり、見えていなかった物が見えるようになる。但し、物理的な光ではない。神官ダビーの魔法。
リターンの魔法 - 村などにワープすることができるようになる。神官ハダルの魔法。
テレパシーの魔法 - 聖獣ルーの姿に変身し、人外の者と話ができるようになる。神官ジェンマの魔法。
タイムストップの魔法 - 一定時間敵の動きを止めることができるようになる。神官メサの魔法。
シールドの魔法 - 一切の攻撃を受け付けなくなる。神官ファクトの魔法。

アイテム
画面構成としてはINVENTORY画面からEQUIPMENT画面が独立したのだが、システム面から考えると、ITEMカテゴリがINVENTORYと名称を変えて装備品から独立し、前作で画面右側に表示されていた物も取り込んだと言った方が実情に近い。

全てのアイテムを装備することができるようになり、プレーヤーの意思で使うことのない物や、装備によって効果が現れるアイテムを装備した状態でアイテムボタンを操作すると装備アイテムの説明文が表示されるようになった。

ハダルの章 - 大地の神官ハダルが書き残したイースの本。最初から所持している。
トバの章 - 力の神官トバが書き残したイースの本。最初から所持している。
ダビーの章 - 光の神官ダビーが書き残したイースの本。最初から所持している。
メサの章 - 時の神官メサが書き残したイースの本。最初から所持している。
ジェンマの章 - 知恵の神官ジェンマが書き残したイースの本。最初から所持している。
ファクトの章 - 心の神官ファクトが書き残したイースの本。最初から所持している。
精霊の衣 - 装備するとどこでもHPが回復するようになる。
鷹の彫像 - 装備するとファイヤーの魔法が誘導弾になる。
薬草 - 使用すると瞬時にHPが全快する。
ロダの実 - 使用すると瞬時にMPが全快する。
鉄鉱石 - 武器屋に売ると強い防具の販売が始まる。
神殿の鍵 - 神殿の鍵がかかった扉を開けられるようになる。
etc.

セーブ
前作からのシステムの変更はなく、ボス戦中以外であればフィールド、ダンジョンを問わずどこでもセーブすることができる。

登場人物
アドル・クリスティン
シリーズの主人公。燃えるような赤毛を持つ冒険者。17歳。イースの本を6冊集め、本の力によって天空のイースの飛ばされてきた。
リリア
本作のヒロイン。イースの地へ飛ばされてたアドルを助けた、ランスの村に住んでいる少女。オープニングで、振り向くアニメーションが当時話題を呼んだ。ファルコム主催でミス・リリア・コンテストも開かれている。
タルフ
溶岩の村の少年。父親を脅すために魔物に監禁される。神官ハダルの末裔。
ルバ
タルフの父親。魔物に息子を拉致され、アドルをサルモンの神殿に行かせないようにと脅されていた。
キース
元は人間で神官ファクトの末裔。魔物によって妹を殺され、挙句自分も魔物の姿にされてしまう。
ゴート
ラミアの村でサルモンの神殿に続く扉を守っている青年。神官ダビーの末裔でもある。
マリア
神官メサの末裔。ラミアの村で母親と共に暮らしていたが、魔物の人間狩りにあい、生贄となってしまうが、神官の腕輪のおかげで命を取り留める。
ゴーバン
神官トバの末裔。最後の肝心なところで登場。アドルに「銀のハーモニカ」を渡す。
ルタ
神官ジェンマの末裔。ゴーバンと共に登場し、アドルに「CLELIA-SHIELD」を渡す。
二人の女神
6神官と共にかつてイースを治めていた。
神官ハダル
二人の女神と共にかつてイースを治めていた6神官の一人。大地を司る。
神官トバ
二人の女神と共にかつてイースを治めていた6神官の一人。力を司る。
神官ダビー
二人の女神と共にかつてイースを治めていた6神官の一人。光を司る。
神官メサ
二人の女神と共にかつてイースを治めていた6神官の一人。時を司る。
神官ジェンマ
二人の女神と共にかつてイースを治めていた6神官の一人。知恵を司る。
神官ファクト
二人の女神と共にかつてイースを治めていた6神官の一人。心を司る。

機種・パッケージによる違い
グラフィック・BGMといった演出部分はそれぞれの機種の性能に合わせた変更が見られるが、ストーリー、システム等は忠実に移植しているものがほとんどである。グラフィック・BGM以外に特筆すべき変更点のあるものだけを挙げる。

パソコン版
PC-8800シリーズ
オリジナル。サウンドはOPN。
PC-9800シリーズ
OPN以外にもビープ音のサウンドにも対応(ただし効果音のみ)。エンディング終了後にミュージックテストに入る裏技、イース1のディスクと組み合わせると隠しモード(2つ)に入れる裏技、がある。
X1turboシリーズ
サウンドがOPMに合わせステレオ化・同時発声数増加と強化されている。オープニングの縦スクロールのシーンが削られている。セーブ可能な数が増えている。エンディング終了後にミュージックテストに入る裏技がある。
FM77AVシリーズ
サウンドはOPN。デモのグラフィックが多色で描き直されている。オープニングの最後のイースが横から出てくるシーンで雲が多重スクロールする。サルモンの神殿でモンスターに教えられるコードネームが違う。エンディング終了後にミュージックテストに入る裏技がある。
MSX2版
画面は256×212ドットの低解像度だが、色数が8色から16色(一部のグラフィックは256色)に描き直されている。サウンドはPSGのみだが、MSX2版のイースIで問題になった操作性(ステータス画面・装備・アイテム画面でのサウンド停止、ディスクアクセスの長さ)が大幅に改善されている。裏技でミュージックテストに入れたり、ポーズ中にキャラクタのドット絵を拡大表示できる。セーブ可能な数が1枚のディスクにつき最大8箇所までに増えているほか、PAC/FM-PACのSRAMにもセーブできる(SRAMの場合も最大8箇所まで)。

2009年02月10日

阿衡事件/滝口武者/武士(ぶし、もののふ)

阿衡事件(あこうじけん)は、平安時代前期に起こった政治事件である。阿衡の紛議とも。
パノラ 暮し情報 ブーケ アカシア シーケン ブッサフマ ミストダ ユーロ ミリタ チャーミ 陽陽次 シャルテマ しゃる 淡き宵 プレス ウーハイ コラー オパールグ マイト モルフォ チュー エージ ソロ ブルカ ムスタ サイボー パクト けいらい トランス おおわひん シーラ ネクタ グアニリ モスキ アングル コロンボラ ボイルド しめじ アカンバ ダイナマイ テレメ 検索メンス テラス ドクダミ ルランナー モーリシャ プレスリ セルン ブレー さんじゅ

仁和3年(887年)11月21日、藤原基経の推薦により臣籍から皇太子となった宇多天皇は、その即位に際して、基経を関白に任じる詔勅を出した。基経は先例により一旦辞退する。天皇は左大弁橘広相に命じて二度目の詔勅を出した。その詔勅に「宜しく阿衡の任をもって卿の任とせよ」との一文があった。阿衡は中国の殷代の賢臣伊尹が任じられた官であり、この故事を橘広相は引用したのである。これを文章博士藤原佐世が「阿衡は位貴くも、職掌なし」と基経に告げたことにより大問題となる。怒った基経は一切の政務を放棄してしまい、そのため国政が渋滞する事態に陥る。基経は厩の馬を全て市中に放って怒りを表したという。心痛した天皇は基経に丁重に了解を求めるが、確執は解けない。

翌仁和4年(888年)4月、天皇は左大臣源融に命じて博士らに阿衡に職掌がないか研究させた。基経の威を恐れた博士らの見解は佐世と同じであった。広相はこれに反駁する。 6月、天皇は先の詔勅を取り消して、広相を罷免した。天皇は無念の思いを日記に記している

基経は執拗になおも広相を遠流に処すことを求める。広相に罪がないことを知る天皇は窮するが、讃岐守菅原道真がこれ以上は藤原氏の為にならない旨の書を基経に送り、基経が怒りをといたことにより、ようやく事件は収まった。

この事件により基経は藤原氏の権力の強さを世に知らしめたのである。

ところが、問題の「阿衡」という言葉を藤原基経自身が用いた例が存在する。『日本三代実録』元慶8年7月8日条によれば、同年6月7日に光孝天皇から政務の要請された(通常、これを関白の開始とするが、「関白」という言葉自体は宇多天皇が出した仁和3年の詔が初出であって、太政大臣あるいは摂政としての継続の意味であった可能性もある)際に一旦これを辞退した際の基経の返答に「如何、責阿衡、以忍労力疾、役冢宰以侵暑冒寒乎。」という語句を含めており、基経が本当に元の言葉を知らなかったのか疑問が持たれるところである。また、『政事要略』巻30に採録された『宇多天皇御記』仁和4年6月2日条には天皇が以前「卿従前代猶摂政焉、至朕身親如父子、宜摂政耳」と基経に伝えたことに対して基経が「謹奉命旨必能奉」と解答しているのに裏切られたと憤慨する記述が残されている。そこで佐々木宗雄は、基経の本心は「阿衡」という言葉よりも光孝天皇の時に基経に与えられていた政務の全面委任(王権代行の権限)の授与を示す言葉が2度の詔には明記されなかったために、天皇が自己の政治権限の削除を図っているとの反感を抱いて、光孝天皇の時と同等の権限を求めたのではないかという説を立てている。

滝口武者
滝口武者(たきぐちのむしゃ)は、蔵人所の下で9世紀末頃から内裏の警護にあたっていた武士。滝口の武士ともいう。
9世紀、内裏の警護にあたっていたのは近衛府だったが、桓武天皇の子である平城天皇(上皇)と嵯峨天皇兄弟の対立による薬子の変を契機に、新たに設置された蔵人所が、9世紀末、宇多天皇の寛平年中(889年 - 897年)から管轄するようになる。

その蔵人所の元で、天皇の在所・清涼殿の殿上の間には官位四位・五位の殿上人が交代で宿直する。 一方、庭を警護する兵士は清涼殿東庭北東の「滝口」と呼ばれる御溝水(みかわみず)の落ち口近くにある渡り廊を詰め所にして宿直したことから、清涼殿警護の武者を「滝口」と呼ぶ様になる。またこの詰め所は「滝口陣(たきぐちのじん)」などと呼ばれる。

なお、蔵人所は律令制では定められていなかった役職(令外官)のため、滝口それ自体も官職ではない。平安時代10世紀の京では兵仗(武器)特に弓箭(弓矢)を帯びることは正規の武官以外には許されていなかったが、『日本略記』によると貞元2年(977年)11月9日に「滝口の武者」が弓箭を帯びて宮中に出入りすることが許されている。これによって「滝口の武者」は朝廷が公式に認める「武士」となり、それを勤めて実績を積み、六位程度の六衛府の武官を目指すのが平安時代後期の武士の姿だった。

滝口の任命は、天皇即位のときに摂関家や公家らが家人(侍)の中から射芸に長じた者を推挙する。平将門も当時左大臣だった藤原忠平の家人として仕え、その推挙により滝口となり、滝口小二郎と名乗っていた。定員は当初の宇多天皇の頃で10名、白河天皇の頃には30名ほどだった。

主な滝口の武士たち
平将門(滝口小二郎)
斉藤時頼
三善惟孝
滝口俊綱
滝口家綱
滝口家次

出典
『保元物語』
「山内首藤刑部丞俊通、その子滝口俊綱」や「草刈部十郎太夫定直、(蓮池)滝口家綱、同滝口太郎家次」などの記述が見られる。

『源氏物語』「夕顔」巻(紫式部)
この、かう申す者は、滝口なりければ、弓弦いとつきづきしくうち鳴らして、「火あやふし」と言ふ言ふ、預りが曹司の方に去ぬなり。内裏を思しやりて、名対面は過ぎぬらむ、滝口の宿直

武士(ぶし、もののふ)
武士(ぶし、もののふ)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在し、戦士を本分とするとされた宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員。古代末に発生した武士はその武力で古代を終焉させ、中世社会で主導的役割を果たし、近世で完成された社会体制を築き上げた。武士の概念は時代により微妙に変化しており、一言では言い表すには難しいが、各時代でも共通しているのは武装した私兵集団の構成員だという点である。ただし、武装した私兵集団が全て武士であるとは言えず、公的な軍事警察力の担い手としての社会的な公認がなければ武士と認められなかったこともまた、強調しなければならない。同義語として武者(むしゃ・むさ)武士 また、武士の起源に関しても諸説が有り、まだ決定的な学説があるわけではない。武士の起源に関する学術的研究は明治時代以降に始まった。武士の起源研究は「日本の歴史における中世の発見」と密接に関わっている。

武士起源研究は中世の発見と密接に関わっている。明治時代の歴史学者三浦周行らによって日本にも中世があったことが「発見」された。当時の欧米史学では、中世は欧米特有なもので、近代へ発展するために必須な時代とされていた。アジア・アフリカはいまだ(当時)古代社会であり、欧米のような近代社会に発展することは不可能とされていた。三浦らは、ヨーロッパの中世が、ゲルマン民族の大移動によって辺境で発生した「武装した封建領主」である騎士によって支えられていたことに着目し、日本で平安時代中期から東国を中心とした辺境社会で活躍した武士を騎士と同じ「武装した封建領主」と位置づけ、アジアで唯一日本にも中世が存在したことを「発見」し、日本は近代化できると主張した。武士は私営田の開発領主であり、その起源は、抵抗する配下の農奴と介入する受領に対抗するために「武装した大農園主」が起源とする。この古典的な学説は広く受け容れられ、戦後も学界の主流を占めることとなった。唯物史観の影響を受け、武士は古代支配階級である貴族や宗教勢力を排除し、中世をもたらした変革者として石母田正らによって位置づけられた。

「職能」武士起源論
しかし、「開発領主」論では全ての武士の発生を説明できたわけではなかった。特に、武士団の主要メンバーである源氏、平氏、藤原氏などを起源とする上級武士や朝廷、院など権門と密接に結びついた武士の起源を説明できない。

そこで佐藤進一、上横手雅敬、戸田芳実、高橋昌明らによってこれら在京の武士を武士の起源とする「職能」武士起源論が提唱された。

武官と武士の違い
武士は、一般に「武芸に通じ、戦闘を職業とする軍人、あるいは兵法家のこと」とされるが、これだけでは平安時代以前の律令体制下の「武官」との違いがはっきりしない。例えば、武人として名高い征夷大将軍の坂上田村麻呂は、すぐれた武官であるが、武士であるとはいえない。また、中国や朝鮮の「武人」との違いも明確でない。中国や朝鮮には「武人」は存在したが、日本の「武士」に似た者は存在しなかった。時代的にいえば、武士と言える存在は平安時代中期の10世紀(国風文化の成立期)に登場する。つまり、それ以前の武に従事した者は、武官ではあるが武士ではない。

簡単にいえば、武官は「官人として武装しており、律令官制の中で訓練を受けた常勤の公務員的存在」であるのに対して、武士は「10世紀に成立した新式の武芸を家芸とし、武装を朝廷や国衙から公認された「下級貴族」、「下級官人」、「有力者の家人」からなる人々」であって、律令官制の訓練機構で律令制式の武芸を身につけた者ではなかった。ただし、官人として武に携わることを本分とした武装集団ではあった。

また単に私的に武装する者は武士と認識されなかった。この点が歴史学において十分解明されていなかった時期には武士を国家の統制外で私的に武装する暴力団的なものと見る見方もあった。ただし、武装集団である武士社会の行動原理に、現代社会ではヤクザなどの暴力団組織に特徴的に認められる行動原理が無視できないほど共通しているのも確かである。

軍事(武芸)や経理(算)、法務(明法)といった朝廷の行政機構を、律令制機構内で養成された官人から様々な家芸を継承する実務官人の「家」にアウトソーシングしていったのが平安時代の王朝国家体制であった。そして軍事を担当した国家公認の「家」の者が武士であった。

王朝国家体制では四位、五位どまりの受領に任命されるクラスの実務官人である下級貴族を諸大夫(しょだいぶ)と、上級貴族や諸大夫に仕える六位どまりの技能官人や家人を侍(さむらい)と呼び、彼らが行政実務を担っていた。武芸の実務、技能官人たる武士もこの両身分にまたがっており、在京の清和源氏や桓武平氏などの軍事貴族が諸大夫身分、大多数の在地武士が侍身分であった。地域社会においては国衙に君臨する受領が諸大夫身分であり、それに仕えて支配者層を形成したのが侍身分であった。こうした事情は武士の発生時期から数世紀下る17世紀初頭の日葡辞書に、「さむらい」は貴人を意味し、「ぶし」は軍人を意味すると区別して記載されていることにもその一端が現れている。

よく言われるように貴族に仕える存在として認識された武士を侍と呼んだと言うよりもむしろ、上層武士を除く大多数の武士が侍身分の一角を形成したと言った方が正確であろう。

また、武士などの諸大夫、侍クラスの家の家芸は親から子へ幼少時からの英才教育で伝えられると共に、能力を見込んだ者を弟子や郎党にして伝授し、優秀であれば養子に迎えた。武士と公認される家もこのようにして増加していったと考えられる。

いわば、国家から免許を受けた軍事下請企業家こそが武士の実像であった。そして、朝廷や国衙は必要に応じて武士の家に属する者を召集して紛争の収拾などに当たったのである。

なお、これとは別に中世の前期の頃までは、他者に対して実力による制裁権を行使できる者を公卿クラスを含めて「武士」と言い表す呼称も存在した。このことは、院政下で活躍した北面の武士などもその名簿を参照すると、侍身分以外の僧侶・神官などが多数含まれている事でも分かる。

「職能」武士の起源
武士の起源については、従来は新興地方領主層が自衛の必要から武装した面を重視する説が主流であったが、近年は清和源氏や桓武平氏のような軍事貴族や下級官人層から構成される戦士身分が起源であり、彼らが平安後期の荘園公領制成立期から荘園領主や国衙と結びついて所領経営者として発展していったとみる説が提唱されている。

平安時代、朝廷の地方支配が筆頭国司である受領に権力を集中する体制に移行すると、受領の収奪に対する富豪百姓層の武装襲撃が頻発するようになった。当初は受領たちは東北制圧戦争に伴って各地に捕囚として抑留された蝦夷集団、すなわち俘囚を騎馬襲撃戦を得意とする私兵として鎮圧に当たった。しかし俘囚と在地社会の軋轢が激しくなると彼らは東北に帰還させられたと考えられている。

それに替わって、俘囚を私兵として治安維持活動の実戦に参加したことのある受領経験者やその子弟で、中央の出世コースからはずれ、受領になりうる諸大夫層からも転落した者達が、地域紛争の鎮圧に登用された。おりしも宇多天皇、醍醐天皇が菅原道真や藤原時平らを登用して行った国政改革により全国的な騒乱状況が生じていた。彼らは諸大夫層への復帰を賭け、蝦夷の戦術に改良を施して、大鎧と毛抜型太刀を身につけ長弓を操るエリート騎馬戦士として活躍し、最初の武芸の家としての公認を受けた。

藤原秀郷、平高望、源経基らがこの第一世代の武士と考えられ、彼らは在地において従来の富豪百姓層(田堵負名)と同様に大規模な公田請作を国衙と契約することで武人としての経済基盤を与えられた。しかし勲功への処遇の不満や、国衙側が彼等の新興の武人としての誇りを踏みにじるような徴税収奪に走ったり、彼らが武人としての自負から地域紛争に介入したときの対応を誤ったりしたことをきっかけに起きたのが、藤原純友や平高望の孫の平将門らによる反乱、承平天慶の乱であった。

この反乱は朝廷の勲功認定を目的に全国から集結した武士たちによって鎮圧され、武芸の家、すなわち、武士として公認された家系は、承平天慶勲功者の子孫ということになり、「武」が貴族の家としての「家業」となり、武家としての清和源氏や桓武平氏、秀郷流藤原氏もこの時に確定した。

この時点ではまだ武士の経済基盤は公田請作経営で所領経営者ではなかった。しかし11世紀半ばに荘園の一円化が進み、諸国の荘園公領間で武力紛争が頻発するようになると、荘園及び公領である郡、郷、保の徴税、警察、裁判責任者としての荘園の荘官(荘司)や公領の郡司、郷司、保司に軍事紛争に対応できる武士が任命されることが多くなり、これらを領地とする所領経営者としての武士が成立したのである。

芸能の家としての武士
武士は社会的な身分であるのと同時に、武芸という芸能を家業とする職業的な身分であるとも規定できる。つまり馬上の射芸や合戦の作法を継承する家に生まれ、それを継いだ人物が武士であると言える。逆に言えば、いくら武芸に優れていて身分が高くても、出生が武士身分でない限り武士とは認められなかった。これ以外で武士の身分を得るには、正統な武士身分の者の郎党となってその家伝来の武芸の伝授を受け、さらに新たに独立の家を起こすに当たって家芸の継承権を得るしかなかった。この道筋が子孫の増加、分家以外で武士身分に属する家系が拡大する機会となった。また、中世になり武門の家が確立した後でも、それとは別に朝廷の武官に相当する職種が一応存在したが、たとえこの官職を得ても、武士身分出身でなければ武士とは認められなかった。ここで言う武門の家とは、承平天慶勲功者子孫(承平天慶の乱で勲功のあった者の子孫)が基本であり、その中でも「源氏」及び「平氏」の諸流と藤原秀郷の子孫の「秀郷流」が特に有名である。これら以外だと藤原利仁を始祖とする「利仁流」や、藤原道兼の後裔とする宇都宮氏が多く、他に嵯峨源氏の渡辺氏や大江広元が有名な大江氏などがあり、有力な武士団はこれらの家系のどれかを起源としていた。特に下克上が一般化する以前においてこの認識が強く、戦国期の豊臣秀吉のように、百姓その他武士身分以外出身の人物は当然、武士として認められるはずがなかった。先祖の武名によって自分の家が武士として認められていたため、かれらは自分の家系や高名な先祖を誇っていたとも言える。

「職能」起源論の限界
「職能」起源論では地方の武士を十分説明できるわけではない。確かに源平藤橘といった貴族を起源とする武士や技術としての武芸については説明ができるが、彼らの職能を支える経済的基盤としての所領や人的基盤としての主従関係への説明が弱すぎる。こうした弱点を克服する議論として主張されはじめたのが、下向井龍彦らによって主張されているように、出現期の武士が田堵負名としての経済基盤を与えられており、11世紀の後期王朝国家に国家体制が変質した時点で、荘園公領の管理者としての領主身分を獲得したとする議論である。(→国衙軍制)

武士の身分
「職能」起源論では、武士とみなされる社会階層は源氏、平氏などの発生期には武芸を家業とする諸大夫、侍身分のエリート騎馬戦士に限定されていたとし、その後、中世を通じて「狭義の武士」との主従関係を通じて「広義の武士」とみなされる階層が室町時代以降拡大していった。発生期の武士の家組織の内部奉公人の中においても武士と同様に戦場では騎馬戦士として活動した郎党や、徒歩で戦った従卒がいたが、室町・戦国期になると武士身分の拡散が大きくなり、狭義の武士同士の主従関係のほかに、本来は百姓身分でありながら狭義の武士の支配する所領の名主層から軍役を通じて主従関係を持つようになった広義の武士としての地侍などが登場する。

このように室町時代以降、武士内部に複雑な身分階層が成立していったが、これらは拡大した武士身分の範囲が一応確定された江戸時代の武士内部の身分制度に結実している。

江戸時代の武士の身分を以下に大雑把に分類する。細かく分ければきりが無く、大名家などによっても分け方や名称が違うため、あくまで大体の目安である。

武士の身分を「士分」といい、士分は、大きく「侍」と「徒士(かち)」に分けられる。これは南北朝時代以降、戦場への動員人数が激増して徒歩での集団戦が主体となり、騎馬戦闘を行う戦闘局面が比較的限定されるようになっても、本来の武士であるか否かは騎馬戦闘を家業とするか層か否かという基準での線引きが後世まで保持されていったためである。

「侍」は狭義の、つまり本来の武士であり、所領(知行)を持ち、戦のときは馬に乗る者で「御目見え」の資格を持つ。江戸時代の記録には騎士と表記され、これは徒士との比較語である。また、上士とも呼ばれる。「徒士」は扶持米をもらい、徒歩で戦うもので、「御目見え」の資格を持たない。下士、軽輩、無足などとも呼ばれる。

「侍」の内、1000石程度以上の者は大身(たいしん)、人持ちと呼ばれることがあり、戦のときは備の侍大将となり、平時は奉行職等を歴任し、抜擢されて側用人や仕置き家老となることもある。それ以下の「侍」は平侍(ひらざむらい)、平士、馬乗りなどと呼ばれる。

幕府の旗本は「侍」、御家人は「徒士」である。
幕府の役所の下役で一代限り雇用名目の者達のうち、与力は本来は寄騎、つまり戦のたびに臨時の主従関係を結ぶ武士に由来する騎馬戦士身分で「侍」、同心は「徒士」である。
代官所の下役である手付は「侍」、手代は「徒士」である。
郷士は郷に住む武士で、多くは「徒士」身分であるが、「侍」身分の者もいる。
足軽は士分(武士)には入らない。「卒」と呼ぶ。発生期の武士の戦闘補助を行った従卒と同一の階層とみなされたわけである。但し、時代が下ると共に徒士と同じ下級武士として待遇されていった。
武家奉公人の内、若党は士分で「徒士」身分である。
お抱えは、一代限りの雇用の者だが、実際は世襲することも多く、軽輩の者が多いなかで、専門職で侍身分の者もいた。足軽、武家奉公人の他、江戸町奉行所の与力、同心、代官所の手代など。学者、医者等もお抱え雇用されることが多かった。

公権力の担い手
武士は当初、「侍」に象徴されるように天皇・貴族の警護や紛争の鎮圧を任とする階層であったが、平清盛の平氏政権を経て鎌倉幕府の成立に至り、旧来の支配権力である朝廷・国司・荘園に対して全国の軍事・警察を担う公権力に発展した。また、個々人の武士が国司・荘園領主として地方の政務を担う局面も拡大していった。

文官としての武士
室町時代・戦国時代・安土桃山時代を経て江戸幕府成立に至る過程で、次第に武士が公権力を担う領域は拡大し続けた。江戸時代以降は社会の全てを覆うようになり、元来軍人・「武官」に相当する職務であった武士が「文官」として働くことが多くなった。江戸時代以降の武士は、軍事から文化へと活躍の場を移っていくことになる。このようなところにも、武士と武官の違いが現れているといえよう。

武士道
戦国の武士の気風を受け継ぎ殉死などを行なう傾奇者を公秩序維持のため徳川家綱の代に禁止し、江戸幕府が、儒教の朱子学を公の学問としたため、信・義・忠を重んじ、気高い振る舞いを行なうのが武士であるとされた。このため名誉を金銭より重んじるなど、後世において武士道という概念につながるような、武士としての理想や支配者としての価値観としての「士道」が生まれた。

しかし、安定期であった江戸時代を通じて形成された、儒教的な「士道」に反発し武士としての本来のありようを訴える人もいた。そうした武士の一人、佐賀藩士・山本常朝が話した内容が『葉隠』に「武士道」という記述としてまとめられているが、それは武士社会に広まることはなかった。

幕末の万延元年(1860年)、山岡鉄舟が『武士道』を著した。それによると「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎(鉄舟)これを名付けて武士道と云ふ」とあり、少なくとも山岡鉄舟の認識では、中世より存在したが、自分が名付けるまでは「武士道」とは呼ばれていなかったとしている。

武士道と近代の意識
明治になり、武士をはじめとする身分制度はなくなった。その後新渡戸稲造がアメリカ人に紹介するために書いた『武士道』が、日清戦争以降、逆輸入され広く受け入れられ、大日本帝国の軍人が持つべき倫理と接合して、軍人の倫理の骨格をかたちづくり、また一方では、美学として文学や芸能の世界でさまざまなかたちとなってあらわれた。

武士に関する言葉など
ウィキクォートに武士に関する引用句集があります。武士は食わねど高楊枝
武士の商法(士族の商法)
武士の情け
武士は相身互い
武士に二言なし
武士道とは死ぬことと見つけたり
一所懸命
いざ鎌倉
武士の三道楽 - 園芸、釣り、学問。

武者に関する言葉など
武者絵:武者の姿や合戦を描いた絵。
武者押し:武者が隊列を組んで進んで行くこと。
武者返し:武家屋敷で、表長屋の外溝の縁に一歩置きに立てた石。

2009年01月24日

性的欲求を充足させることを目的とした強い衝動


タジーン ドジョブ セキュア きり ポストマン ニアミス フェデ ラテックス ホトトギス フェー タイダイ ふうせん ベリル そばみち メントール カネロニ キャンドル ファンク ブッシェル チェチ シュロチ チンネ じゃぼ ジベレリン タイシ ふらの タンキニ レユニ クロスボ 鉄人 リッポン ティナド いささ トリップ とうみょ ロレック ストップ プラン テンス プロテオ ノクターン ハコネ ハートフル タヒチ まるも ダウン ウェブ ザンサス びゃっこ マフィン
性欲は、性的欲求を充足させることを目的とした強い衝動である「リビドー」 (libido) であると考えられている。個々にどのような欲求が生まれ、どのような方法で充足させるかは、個人差が大きく一般化することは困難である。

性欲の研究についてはフロイトによる小児性欲のエッセイが著名である。フロイトは未発達の小児にも性欲があると考え、口唇期、肛門期、男根期(エディプス期)、性器期などという段階に分類した。こうした性行動をともなわない性欲を充足させるか否かが後の人格形成に大きく関わると考えたフロイトは、こうした性欲の抑圧(欲求不満)をヒステリーの原因と想定した。またそうした性欲を根源的な性欲と名付けた。フロイトはこうして人格形成をすべて性欲に起因する欲求で説明しようと考えた。これを汎性欲論と呼ぶが、近年では多くの批判を受け、妥当性に欠けるとされる。

脳生理学の発達にともない、本能的行動が脳内の化学物質による反応行動であるというアプローチもある。

性衝動の固着
性欲そのものは非常に単純であり根源的な欲求である(リビドーの項参照)。ただしその性衝動をどう充足するかによって、性的指向は個々に変化する。例えばフロイト的な解釈によれば、口唇期の欲求不満が固着した場合は、悲劇的で不信感に満ち、皮肉屋で攻撃的なパーソナリティが形成される可能性があるとされる。逆に過剰であった場合は、タバコやアルコール摂取意欲の増加、爪を噛むなどの行為がでる可能性があるとされる。

女性が、自分に執着しパートナーに大切にしてもらえることを望むという性的指向が固着した場合、そのような価値観を持つ社会集団に属していた、あるいは一切執着をされなかった反動形成と捉えることができ、男性が容姿の優れたパートナーを所有することを望むという場合も社会的欲求の変形と見なすこともできる。

好奇心から性的指向を顕在化させるケースもあり、窃視症や痴漢など、異性の秘密に対する好奇心から、異性の衣服の下の身体を見たい・触れたいという欲求を抱き、特に人目につかない部分(股間、腋の下など)に興味を示すこともある。男尊女卑的な社会では女性が頼れるパートナーに身体を預け、秘所を開くことで孤独感を癒したいという欲求が生まれることもある。こうした類型化された男女の性衝動は社会性の獲得とともに刷り込まれる。(性的嗜好、ジェンダーの項も参照)。

一般に性的欲求が強まるのは、思春期以降と言われるが、個人差が大きく必ずしもそうとは言えない。性的好奇心は年齢を問わずにおこり、社会的抑圧の程度により発現の仕方も多様である(子供の性を参照)。固着の状況によっては、関係性への欲求や所有欲、共感欲といった別の欲求に置き換わる場合もしばしばで、性的な欲求を一生自覚せずに過ごす場合もある。

影響
このように固着した性行動は個々の性生活に影響を及ぼし、法的に逸脱した行動を引き起こすこともしばしばである。TPOを無視した過度な露出や逸脱した性的アプローチは、嫌がらせ (セクシャル・ハラスメント) や性犯罪とされることもある。

キリスト教では色欲は人間の七つの大罪の一つとされる。また他の宗教でも、不適切な性欲を罪としている。

仏教でも煩悩の一つとされ、不邪淫戒という戒律も存在する。ただし不邪淫戒は、妻以外の女性と性交渉をしてはならない、という戒である。釈迦の従弟である孫陀羅難陀が、出家後でも妻に惹かれてなかなか悟りを開けなかったエピソードなどがある。このように多くの宗教では、性欲とは女性の容姿に男性が惑乱させられて起こるものと考えられている。

ただし、仏教の中でも上記の顕教と違い、密教では性欲の捉え方は大きく異なる。理趣経という経典には、男女の欲望や交合(性交)の妙なる恍惚、また欲望などもすべて清浄なる菩薩の境地であるなどと説いており、性欲を全否定しない。したがって世間一般では、密教や理趣経は性欲を肯定していると、色眼鏡的な見方で捉える向きもある。しかしそれもまた違う。これは自性清浄といい、本来人間は汚れた存在ではなく、欲望は人間として自然なものである、といった煩悩即菩提という思想が密教の根本にあるためである。

これに関連して最澄と空海の間には興味深い話がある。日本天台宗を開いた最澄は、真言宗の空海に灌頂を受け弟子となりつつも、天台宗の教義を確立するため、空海に借経(経典を借りること)を繰り返した。しかし最後にこの理趣経の解説書である『理趣釈経』を借りようとしたが断られた。これ以降両者の関係は断絶している。この経緯には、空海が最澄の機根を見極め、密教や理趣経が性欲を全肯定していると誤解され、また間違った教義解釈をされることを懼(おそ)れた結果、断ったと考えられている。

現に空海や最澄以降、男女の性交をもって成仏するという、行き過ぎた教義解釈を実践する一派が生まれた。真言宗の立川流は南北朝時代を頂点に栄え、高僧や貴族間でも大いに信仰されたという。また天台宗でも玄旨帰命壇という一派が類似する教義を立てた。しかしいずれも邪教扱いされ排撃されて現在は途絶えている。なお立川流に関しては、南北朝という政治的対立の背景によるスケープゴート説や教義内容の信憑性などが、近代の研究で多く提示されている。

2009年01月17日

国家までその対象は多岐にわたるが

日常の習慣から国家までその対象は多岐にわたるが、いずれにせよ、科学が発言権をもつ以前において、「なぜこの世界はあるのか」「なぜ人がいるのか」「なぜ人は死ぬのか」というテーマは多くの神話がとりあげるものである。

必ずしも神が出てくるとは限らないし(「神話」の原語であるmythには、「神」と関連する意味はない)、神が出てくるとしても一人であったり、多数であったり、その形態は神話によって様々である。
レコーダ ケース チトク 時代の扉 僕達の舞台 フットホ セット リーダー ムーミン カーラ ヌーベ エンジェル ケーエフ マスメ ブラウ フェース コモン キモスタ スクハ プリン ユーロダ マリーナ ジョイント 天慶 シーザー ビブ シンプトン カラー ロケオ カザノ カラー レタッ サラマ トラン ロスタ マカラ グルプ アニメ クレス シーズンオ トンネル セリウ 楓の小舎 杜仲 サーチズミ ピース パラグ チポフ チョイス ムード

民族はそれぞれに独自の神話を持っていた。系統的に関わりのある民族においては、神話にも多くの共通の要素があり、かつてはそれぞれの民族の社会において宗教・信仰として機能していたが、現代ではそのような例はごく少ない。

神話の研究
神話は、その神話を持つ文化集団の思想を探るのに重要な要素の一つでもある。文化人類学や民俗学の分野では、ノアの方舟に代表される洪水神話など、多くの文化集団が類似する神話を持っている場合、その文化同士に交流があったのではないかなどという方面から、研究が進められている。(比較神話学)

研究する学問としては、神話学や物語学などがある。ほかにも宗教学、歴史学、民族学、文化人類学、文学など多くの学問領域で研究対象となっている。

「神話」という言葉
似た言葉に、「伝説」という言葉がある。 神話は物事の起源、伝説は固有名詞を伴った土地のいわれなどを説明するといったニュアンスの違いはあるものの、例えば建国神話に実在の可能性がある人物が登場し、地名の由来にもなったりするなど、両者の境界は明確ではない。

近世において、また今現在起こった事実が年月による経過を受け、昔話→伝説→神話へと、未来で語られる神話へと移行する可能性も十分ある。

また近代に入り科学的理性が宗教・神話的なものの信頼を揺るがすようになると、そこから転じて「絶対的だと前まで考えられていたが、根拠の揺らいできたもの」といった用法が生じた。例:「日本の『安全神話』が崩れつつある」など。

主な神話(要素別)
大洪水
土地神話
創世神話
起源神話
英雄神話
王権神話
創造神話

主な神話(地域別)
北欧神話
フィンランド神話
ゲルマン神話
ケルト神話
スラヴ神話
ギリシャ神話
ローマ神話
ペルシャ神話(イラン神話)
ウガリット神話
バビロニア神話
メソポタミア神話
ヘブライ人の神話(旧約聖書)
エジプト神話
アフリカの神話
インド神話
仏教神話
中国神話
朝鮮神話 - 檀君神話
日本神話
出雲神話
琉球神話
アイヌ神話
フィリピン神話
ハワイ神話
ポリネシアの神話
ミクロネシアの神話
メラネシアの神話
アメリカ・インディアンの神話
マヤ神話
アステカ神話
インカとアンデスの神話
架空の神話
クトゥルー神話
中つ国の神話

神話と遺跡
神話(伝説)であって真実ではないとされていたものの遺跡が発掘されることがある。

イリオス (トロイア)
イス
瓜生島
ヘイアウ
御嶽
チャシ